はじめに
人間、自分のことをわかってもらえたい、という欲求が多かれ少なかれあるようです。一方で、自分のことをわかってもらう、ということはとても難しいことです。それを受け入れられなければ、糸口も見つけられないまま不満はたまる一方。良好な関係性を築けない、保てないということになりかねません。
なぜ、自分をわかってもらうのがこんなにも難しいのか、何が難しくさせているのかを考えてみます。
私は思考を通して私を捉え、相手は言動を通して私を捉える
私が捉えている私は、私の思考です。私の言動はそれほど見えていないでしょう。
相手が捉えている私は、私の言動です。思考は直接表出しないので、言動から捉えるしかありません。
見ているものが違うので、当たり前に捉え方にギャップが生まれます。
私は私を良く捉える、または悪く捉える
先ほど、私は私を思考で捉えていると言いました。でも私は相手と違い、私の言動というもう一方の側面も見ることができます。では、私の言動に目を向ければギャップは生まれないのではと言えば、そんなに簡単ではありません。
完全に私を客観視するのは難しいです。どうしても少しでも私を良く捉えたいと正当化したり、逆に悪く捉えようと卑下することがあります。どちらにせよ、無意識に言動の解釈を捻じ曲げてしまうということです。
相手も私の言動を相手の解釈を通して捉えている
相手も私の言動をそのまま捉えているわけではありません。相手の解釈(思考)を通して見ています。それは相手の背景から成り立つ、同じものを見ても私とは全く別の捉え方をするレンズです。
先ほどの私は私を良く捉える、悪く捉えるを抜きにしたとしても、どっちにしろ私の言動に対して異なる解釈をしてしまうんです。
分かり合えないことを受け入れる
ということで、まずは分かり合えないことを受け入れるしかないな、というお気持ちです。前向きに。
ここまで見てきた通り、解釈不一致の理由なんてたくさん挙げられます。まずは、当たり前に分かり合えないことを受け入れようと思います。
ギャップを感じたら、話す
分かり合えないことを受け入れた上で、私の思う私と相手の思う私にギャップを感じたら、コミュニケーションを取れるといいと思います。
相手が私をどう捉えているか。それはどんな言動からそう捉えるようになったのか。私はその言動をどんな思考からおこなったのか。
相手が捉えた私は間違いではありません。相手にとっては事実であり、そう捉えさせた私の言動も事実です。それが私の思考と違い、なにかマイナスに働くのであれば、どういう意図があったのか、どう捉えてもらえると嬉しいかをコミュニケーションしていくのがいいと思っています。
私も私にバイアスがあるので、相手がそう捉えたこと、そのときの私の言動を真っ直ぐに受け止める必要があります。正当化せず、卑下せず、確かにそういう捉え方もできるなーと思えば、自分を見つめ直すチャンスになります。
ギャップを感じたら、話す、を繰り返す
あとはこれを繰り返します。どうせ分かり合えないので、何回でも繰り返すしかないです。
それでも繰り返すことで、私の私の捉え方に変化が起きたり、相手の捉えた私のギャップが小さくなったりします。
完全に一致することはないでしょうが、ギャップが小さくなっていくのは今よりちょっとポジティブです。
おわりに
誰も私をわかってくれない!と悩んだら
- そもそも分かりあうのは無理を受け入れる
- それでもギャップを小さくするために話すことを諦めない
とよいのではないかと思ったのでした。